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ドッキリ!実話

海からの風 (1/2)

― 現場検証は慰安旅行 !? ―

 海からの風が、初夏の匂いを運んでいた。
 左に瑠璃色の太平洋、右に乳牛が草を食む牧場を見ながら、車は山峡に向かった。5月の末で、樹々はまばゆいばかりの黄緑色に輝いていた。
 ぼくがまだ弁護士になって3年目ぐらいの、20代後半の頃のことだった。
 その日、ぼくを含めた裁判所の関係者たちは、東京から、空路はるばる北海道へ交通事故の現場検証にやってきたのだ。慰安旅行の老人たちを乗せたマイクロバスが、函館近郊のカーブになった山道で崖下に転落した。その現場を、見に行くためである。
 現場検証といえば聞こえはよいが、半分は物見遊山の旅行だった。
 事故を起した運転手の国選弁護を引きうけることになったぼくが、国選弁護を承諾する手続きのために裁判所を訪れると、50近い、いかにも小役人といった風情の書記官が寄ってきて、含み笑いをしながらこう言った。

 「いやあ、先生のような若い方が弁護人について下さって、ほんとよかった。実は、お願いがあるんですがね。この件、法廷で争ってくれませんか」

 あまりに唐突なので、ぼくにはその意味が解しかねた。ぼくとしては弁護士会で起訴状の写を受けとったばかりであるし、記録も見ていない。まして、被告人とも会ってはいないのだ。争うも何も、まだ弁護方針は決めようがなかった。それなのに、裁判所の書記官の方から「争ってくれ」とはどういう意味なのか、はかりかねたのである。

 「いや、あまり大きな声では言えんのですが、この事件の現場は北海道でしょ。先生が争うことにして、現場検証の申し立てでもしていただければ、裁判所もそれを採用して、裁判官ともども、公費で旅行ができるんですよ。ついでに、現地の医師を証人として申請していただければ、出張尋問をしますんで、なおありがたいんですが。ここだけの話なんですけど、北海道へは役所へ勤めだしてからこのかた、行ってないんですわ。われわれ書記官はこういうことでもないと、なかなか旅行させてもらえないもんですからねえ。何分、協力していただきたいんですが」

 「はあ。でも、裁判官が現場検証を認めますか。別件では、現場検証を申請しても、ほとんど認めてくれませんでしたが」

 「いや、その点は大丈夫、大丈夫。こんどの裁判官は沖縄から赴任してきたばかりで、裁判官も北海道に行きたいって言ってますから。裁判官には私からよく話しておきますんで、ひとつ、先生、よろしくお願いしますよ」

 書記官の方は、もうすっかり北海道へ行くつもりでいるようだ。
妙な頼みごとであった。ぼくとしては、起訴状を読んだときの感じでは、争うような事案ではなさそうな気.がしていたのだ。
ふだんなら、同じ都内の現場検証や出張尋問でさえ認めようとしないくせに、遠方への旅行をかねるとなると、にわかに色めきたって、裁判所の方から弁護人に現場検証の申請をしてくれなどと言ってくる。勝手なもんだと、少し腹立たしくなった。
だが、慎重に審理を進めるという意味からすれば、現場検証はやってもらうに越したことはない。裁判官が現場を視るのと視ないのとでは、量刑に大きなちがいのでることがある。出張尋問にしても、医師から直接話を聞くのは、有意義なことだ。国選弁護料は5万円にも満たない低額で、しかもこんな場合、弁護人の旅費日当はごく一部しか公費からの支給をうけられず、もちだしになることは目に見えている。弁護方針を決める手順としては、本来とまったく逆だったが、書記官がそう言うのなら、ここは黙って協力して、「争う」ことにしてやろうと思った。
起訴状によると、事故の原因は運転手の居眠り運転となっていた。洞爺湖近郊のD市に住む41歳の運転手酒田卓造は、当時、タクシーの運転を生業にしていたが、アルバイトに自分のマイクロバスで地元の老人会の人たちを小旅行につれていく仕事も請け負っていた。タクシーの仕事はきつく、朝9時から夜中の2時ごろまでの勤務だった。タクシー運転手は1日働くと翌日休みをとるケースが多いが、彼の場合は働きづめだった。事故の前日も仕事を終えて就寝したのが午前4時ごろ、そして朝8時にはもうマイクロバスに10人以上の老人たちを乗せて運転していた。居眠り運転というのも、まったく無理からぬことのように思えた。マイクロバスの速度はおそく、衝撃もゆるやかだったため、乗客のけがは比較的軽かったが、それでも年のせいで、治療に6ヶ月以上かかるひともいた。
酒田がなぜそんなに働かなければならなかったか。それは、9人の幼な子をかかえていたうえに、住宅ローンとマイクロバスの借金が生活を圧迫していたからだ。
事故のあと、酒田の妻は実家のある東京へ帰ってしまい、彼の方は子育てに追われて、仕事どころではなくなってしまった。仕方なく、彼は子供たちを室蘭の自分の実家に預けて、妻を連れ戻しに上京した。まっ先に妻の実家へ行ってみたが、妻は戻ってはおらず、行方が知れなかった。そこで酒田は妻の実家に逗留して、妻を探すことにしたのである。
そうこうしているうちに2ヶ月経ち、3ヶ月経ち、東京のタクシー会社に働き口をみつけた矢先、東京地方裁判所で裁判にかけられることになった。
法廷で、現場検証をすることに決めたとき、裁判長は、

 「東京から北海道までいく金はありますか」

 と酒田に訊いた。被告人自身の出張費用は国費で十分まかなえないので、自費で行けるかという趣旨で訊いたのだった。
しかし彼は勘違いし、160センチにも満たない猫背気味の小柄な背をますます折り曲げて、

 「いま金はないけど、自分がやってしもうたことには違いないし、みなさん方が現場まで行く費用は、いずれ私が働れえて返しますから」

 と言った。
律義な男だった。

 当日、飛行機に乗ってみると、古手の書記官のほかに、もう1人、30になるかならないぐらいの、見馴れない若手の書記官がくっついてきていた。

 「写真撮影を担当ということで、私も同行させてもらいました。よろしくお願いします」

若い書記官は、ぼくのうしろの席で、頭をかきながら、ペコッと頭を下げた。その横で、ぼくに「争ってくれ」といった古手の書記官も、意味ありげににやにやしている。

 「現場検証に書記官の方が2人もつくなんて、こりゃ、すっかり大事件になりましたね」

多少の嫌味をこめたつもりだった。写真撮影なんか、1人の書記官で十分なのだ。北海道旅行に便乗しようという若い書記官の腹はみえみえだった。もっともこうした小役人たちの便乗旅行も、決裁権をもつ裁判官がOKしない限り実現はしない。つまりは、裁判官を含めて役所ぐるみで、「カラ出張」ではなく、堂々と公費を使い、道南3泊4日の旅を楽しもうという計画にちがいなかった。
函館空港に着いたわれわれは、タクシーで待合せ場所に指定した国鉄(当時はまだ国鉄が民営化されていなかった)の駅に乗りつけた。太平洋岸の人影のない漁村のさびれた駅だった。その駅舎のなかのベンチに、彼は小柄なからだをまるめて座っていた。彼の横には鼠色のビニールバッグがひとつあるだけだった。

 「何時にここへ着いたの」

 「1時間ほど前です」

 「ああ、それじゃ、途中駅で鈍行に乗りかえて?」

 「いえ、お金がないもんすから、前の日、上野からの各駅に乗りました」

 「ええ? じゃ、寝台もとらないでですか」

酒田は口許に笑みをうかべて、コクリとうなずいた。上野から14時間かけて青森に出、当時、まだ就航していた青函連絡船で、海峡をこえてきたのだと彼は言った。
われわれが羽田から2時間半足らずで来たことを思うと、彼が気の毒になった。

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