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ドッキリ!実話

ノーベル賞作家カミュの事故死

― 事故原因をめぐる裁判 ―

 ノーベル賞作家のアルベール・カミュは、1960年1月4日、サンス=パリ間の通称ヴィルブルヴァンで自動車事故により46歳の生涯を閉じた。乗っていた車が、車道の脇の1本の樹に激突したのだ。彼がノーベル文学賞を受賞して2年あまりしかたっていないときの若すぎる死であったために、この突然の訃報は全世界を席巻した。フランスの新聞「ル・モンド」は、事故当時の車のスピードについて

「ある人によれば、時速130キロで走っていた」

と報じた。

 車を運転していたのは、カミュの親友で、彼の本の版元であるガリマール社の社長の甥のミッシェル・ガリマールだった。カミュは助手席に座っていた。シートベルトはしていなかったので、即死だった。後部にはミッシェル・ガリマール夫人のジャニーヌとその娘でアンヌがいた。車は、フランス製のファセル・ヴェガというツー・ドアのクーペで、ガリマールのものだった。購入後1年ちょっとを経過していた。
この事故でミッシェルも数日後に病院で死んだ。ジャニーヌとアンヌは助かり、その後、ジャニーヌは事故の重要な生き証人となった。
カミュがスピード嫌いだったことは、彼の恩師で作家のジャン・グルニエをはじめ、友人の間で広く知られていたから、彼がどうしてそんな高速での走りを許したのか、またどうして彼がいちばん危険な助手席に乗っていたのか、死後さまざまな論議を呼んだ。事故当時、あたかも死を予感していたかのようなカミュの言動や、ミッシェルをまきこんでの彼の女性問題もからんで、もしかすると彼が故意にハンドルに手をかけたのではないかと憶測する向きもあった。
新聞の論調は、おしなべてミッシェル・ガリマールを非難した。彼はスピードを出しすぎたか、車あるいはタイヤの点検を怠ったと。それにつづいて、ファセル・ヴェガという車のタイヤの摩減や空気圧の不均等にも言及した。ミッシェルの友人たちは彼の弁護にまわり、事故原因をめぐって論争が繰りひろげられた。
やがて、カミュの遺族とガリマール家との間で裁判に発展したこの事件は、1963年4月4日、サンスの裁判所で判決が出た。アメリカのジャーナリスト、H・R・ロットマンはその内容を次のように紹介している。

 「裁判の判決は、タイヤの状態と空気圧に鑑みて、ミッシェル・ガリマールは速度を出し過ぎた、というものであった。車の製造者は、いかなる責任も問われなかった」

 1つの交通事故をめぐって、これほど世間が騒いだケースを、私はほかに知らない。

(完)

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