1. HOME
  2. ドッキリ! 実話
  3. 嘆願書

ドッキリ!実話

嘆願書

― 被害者の嘆き ―

(1995年 法務省保護局「更正保護」掲載)

 左右の肘から手首にかけて、20センチぐらいにわたり、暗紫色に盛りあがった生々しい傷跡がある。それは、患者に激痛を与える手術を想像させた。

「腕だけじゃないんです。脚にも膝にも肩にも、からだ中、傷だらけで。これじゃもう、水着も着れないし、結婚だってどうなるかと思うと、生きているのが辛くって」

 ブラウスの袖をめくって両腕をさしだしたヒトミさんの目には、涙が潤んでいた。
 初診時の診断書を見ると傷病欄の枠をはみだして、病名が列記されている。左大腿骨骨折、左前腕骨骨折、左大腿部筋断裂、右手関節骨折、右仙腸関節脱臼骨折、両坐骨恥骨粉骨骨折、右第五腰椎横突起骨折、右膝顆間隆起骨折、右前十字靭帯損傷、右外側側副靭帯損傷。
 1週間前に救急病院から退院したばかりだという。入院は半年にも及び、その間、骨接合術、右膝骨片摘出術、靭帯形成術、半月板切除術、膝関節剥離術の手術をうけた。
 ハンドバッグから最近入手した後遺症害の診断書をとり出そうとからだを動かしたとき、椅子の横にたてかけておいた松葉杖が倒れた。たちあがって拾いあげようとしたぼくを制し、彼女は不自由なからだを折りまげてつまみあげた。そのとき、口の開いたハンドバッグの奥に、家族が買ってくれたのか、真新しい交通安全の御守りが目に入った。
 ヒトミさんは26歳。婦人服メーカーに勤めるデザイナーである。オフホワイトの清楚なブラウスのうえに小麦色のジャケットをはおり、脚の傷を隠すためだろう、ゆったりめのブルーグレーのスラックスをまとっていた。カールした少しほつれ気味の黒髪や、形のよい鮮明な二重瞼、彫りの深い、どことなく混血を思わせる顔だちは、事故前なら、たぶん周囲にセクシーな魅力を発散させていたかもしれない。だがいま、身長165センチはあるスリムな体躯を、松葉杖を使って、事務所の入口から応接室までゆっくり歩を進める姿は、明らかに病人のそれで痛々しかった。
 彼女が交通事故に遇ったのは、半年前のことだ。東京都下の府中で、短大時代の友人のクミコさんと久しぶりに会って食事をした。食事がすむと、クミコさんは婚約者のミノルに電話して、レストランまで車で迎えに来てもらった。ふつうなら、婚約者同士が前席に並んで座りそうだが、クミコさんはこのときすでにミノルに対し、胸に一物をもっていたのだろう、クミコさんが後部シートに、ヒトミさんが助手席におさまった。
 発進してまもなく、運転していたミノルとうしろのクミコさんとが口論をはじめた。喧嘩のタネは、婚約中にもかかわらずミノルが別の女性と付き合ったことにあるらしい。ミノルは、クミコさんになじられたことの腹いせに、車のスピードをあげた。「やめて」と彼女たちが叫んだら、おもしろがってますますスピードをあげた。ミノルの供述調書によれば、時速140キロはでていたとある。その結果、車はカーブを曲がりきれず、ガードレールに激突した。衝突の反動で、助手席のドアが開き、横転したまま反対車線のガードレールと欅の木にぶつかって、止まった。路面には、スリップ痕が、センターラインをまたいで鋸の歯のようにジグザグについていた。彼女たちは知らなかったが、当時、ミノルは酒を飲んでいた。
 シートベルトをしていなかったヒトミさんは、衝撃で車の外に吹っとばされた。実況見分の結果わかったことだが、車の停止位置と彼女が投げ出された場所とは、30メートルも離れていた。路上には、おびただしい血痕があった。よく助かったと誰もが言った。
 それにひきかえ、運転していたミノルは軽度の打撲ですんだという。ミノルはシートベルトを装着していた。ヒトミさんもシートベルトをしていれば、軽傷ですんだのではないかという推測は、このケースにはあてはまらない。もし彼女がシートベルトをしていたなら、座席に固定された結果、死亡していたであろうというのが、医師たちの一致した見解だった。彼女の座っていた助手席がもっとも衝撃がはげしく、原型をとどめないくらいに破壊されていたからである。幸いにもシートベルトをしていなかったために車外にとびだし、彼女の生命をつないだのだった。後部座席のクミコさんは頭部、顔面打撲と右鎖骨骨折で1ヶ月ほど入院した。
 ヒトミさんがぼくの事務所を訪れた目的は、ミノルの側から賠償金をとってくれという依頼である。ミノルはこれほどの大事故をおこしておきながら、お見舞いといったら、ヒトミさんの入院中に1度だけ、1万円の見舞金を包んできただけだった。見舞いに来る前に、彼の母親から入院先の彼女あてに1度だけ電話があった。「何か欲しいものがあれば言って下さい」というので、タオルケットを所望した。数日して、ミノルは両親を連れてあらわれた。うす汚れたコンビニエンスストアの袋の中から、母親は洗いざらしの色褪せたタオルケットをさしだした。異臭を放つ8人部屋の病室の窓からは傾きかけた冬の日差しがさしこみ、ベッドの鉄枠の、ところどころ斑点のようにはげた塗装を浮きたたせていた。父親は枕もとの鉄枠をつかみながら、酒臭い息を彼女に吹きかけ「そのうちによくなるさ」と、もつれた呂律でひとごとのようにつぶやいた。そのとき以来、ミノルからは梨のつぶてだった。ミノルの保険会社も冷淡だった。
 損害賠償を請求した東京地裁の法廷で、数年後、ミノルを尋問したときのことを思いだす。彼はひょろっと背の高いやせ型で、虚ろな目をし、顎がこけ、頭髪は寝起きままのようだった。着古したセーターにジーパンをはいて証言台にたった彼は、双方の弁護士や裁判官からなげかけられる質問に対し、いかにも面倒くさそうになげやりにこたえたのだった。なげやりな発言は、裁判官に悪い心証をあたえる。

「事故の直前、あなたは、迎えに行ったレストランで、クミコさんに頬をはたかれたのではありませんか、女性問題のことで」

「そんなこと、どうでもいいでしょ?」

 反対尋問において、彼の悪性格立証のため、ぼくが意図的に行った辛辣な質問に対し、彼はむっとしてそう反論した。
ヒトミさんはこれから先、最低4回は手術を受けなければならない。今月の末には、すぐ脚の靭帯の手術がある。その入院保証金をミノルは払おうとしない。催促の電話をすると、居留守を使ったりする。

 「5万円くらいですから、自分で立替えたっていいんですけどね。でも相手が払うべきものを、なんでこっちが払わなけりゃならないのかって思うと、悔しくって」

 聞けば聞くほどミノルという男に腹がたってくる。ミノルはこの事故のために、勤めていたレンタカー会社をクビになり、いまはどこやらの倉庫で梱包の手伝いをしているらしい。裕福ではないだろうが、5万円の金が払えないわけがない。
 ヒトミさんのためには、ミノルの給料を差し押さえてでもお金をとってやりたい心境だったが、そんなことをするより、ミノルの保険会社と渡りあった方が効率がよいことは、目にみえている。ぼくはそのことを彼女に説明し、2週間以内に、入院保証金と今までの休業補償を保険会社からとってあげると約束した。
 10日後、ぼくは約束を果たした。

 ヒトミさんが再入院するという前日になって、急に彼女から連絡があった。

「あの男が減刑嘆願書とかいうのを書いてくれって言ってきてるんですが、どうしたらいいでしょう?」

 減刑嘆願書というのは、犯罪の被害者が裁判所にあてて、犯人の刑を軽くしてやってくれと嘆願する文書のことである。被害者は犯人に憎しみを抱くものだから、被害者から逆に減刑嘆願書がでると、裁判官は被害感情がやわらいでいることを知り、それを加害者に有利な情状のひとつとして考える。
 ミノルも今回の事故で業務上過失傷害罪の犯罪者の立場にある。だから減刑嘆願書を求めてきたのであろう。だが、払うべきものを一銭も払おうとせず、自分だけが助かろうとするずうずうしさに、ぼくは憤りをおぼえた。

「いままでは、私が電話してもけんもほろろだったくせに、むこうから電話してきて『刑事裁判で、このままだと刑務所に入れられるかもしれないので、お願いですから、書いてくれませんか』だなんて。人が変わったみたいにすごく丁寧で、なんだか気味が悪いんです」

「そんなもの書くべきじゃありませんね。あなたをこんなに苦しめてきたのだから、あの男には刑務所に行ってもらいましょうよ」

「ええ、そのほうが私の気持ちもすっきりします」

 あさましい男だと思った。あす、彼女は都心の病院に入院するのである。脚の手術をし、金属板を入れるのだという。手術に対する不安、術後の痛み、排尿・排便すら1人ではできない不自由さ、もどかしさ、しもの世話を看護婦にゆだねなければならない羞恥と苦痛、そういったことが、いま、彼女の頭に去来しているにちがいなかった。現在、おかれているそうした被害者の苦悩にはなにひとつ頓着せず、自分の救済だけを一方的に依頼してきたミノルという男の無神経さ。それは彼の粗暴さと表裏をなすものだった。
 ミノルの刑事処分はとうに確定しているだろうと思っていたが、ミノルの電話でまだ裁判が続行中であることがはっきりした。こんな電話があるまでは考えてもいないことだったが、減刑嘆願書を書かないだけでなく、いっそ厳罰嘆願書を書いて提出してやることにした。厳罰嘆願書なんて、はじめてのことである。裁判の実務のうえでは、減刑嘆願書というのはあっても厳罰嘆願書なんて聞いたことがない。しかし、あっても不思議ではないのである。
 相手の乱暴な運転の状況と事故後の誠意のなさをつづり、入院保証金すら払おうとしないくせに、減刑嘆願書を求めてきたこと、こんな身勝手で不誠実な男は絶対許せないから、できるだけ長く刑務所に入れてもらいたい旨をしたためた。ヒトミさんにその日のうちに自筆で清書させ、サインをさせて、検察官に送った。裁判官にも送った。
 それを読んだ検察官がぼくのところにすぐに電話をよこした。

「あんなひどい男とは知りませんでした。次回の公判では意を強くして被告人の厳罰を求めていきます」

 裁判所の書記官からも電話が入った。

「被害者の方の嘆願書は、今日受けとりました。いま裁判官が目を通していますよ」

 これでもう、ぼくの目的は達成されたも同然である。ミノルに、刑の執行猶予がつかないのはほぼ間違いない。それどころか、8ヶ月ですむ懲役が1年にのびるかもしれない。
 それにつけても、ヒトミさんが入院前にしみじみ言っていた言葉を思い出す。

「何回も何回も手術を受け、からだ中を切りきざまれるよりは、刑務所に行くほうがよほどましだわ」

 1ヶ月後の公判で、ミノルに実刑判決が宣告された。
 それから1年6ヶ月、彼は交通刑務所に収監された。

 ミノルの方は、刑期を終えれば務めをすませたつもりでいるのかもしれなかったが、ヒトミさんの方は、終わっていなかった。
最終的に彼女の治療期間は、入院が408日、通院が934日に及んだ。その間に合計11回の手術を受けた。事故前に彼女と交際していた男性は、彼女のもとを去っていった。さらに悪いことに、事故から6年を経たとき、C型肝炎に罹患していることがわかったのである。C型肝炎は、1988年に発見された肝炎で、将来、肝硬変や肝臓癌に発展する可能性があり、そうなった場合、ゆくゆくは死に至るおそろしい病である。彼女のC型肝炎は、事故の直後に受けた手術の際の輸血が原因だった。
ヒトミさんは、医師から「20年寿命が短縮された」との宣告をうけながらも、つとめて明るく生きようと、最近になって婦人服のデザインの仕事をはじめた。
ミノルは、彼女の治療経過やC型肝炎に罹患したことまで知悉していながら、出所後、1度も彼女に連絡をしてこない。民事でミノルの代理人をつとめる弁護士は、彼女のC型肝炎と交通事故の因果関係を争いだした。
時を戻せるものなら、事故前の時間に戻してあげたいとさえ思う。彼女の悲嘆は、感情を制御して、数理の観念しかもちあわせていない裁判官には十分に伝わらず、ぼくの焦燥をかきたてる。
ミノルを相手に提起した損害賠償請求訴訟は事故から8年以上経ったいまも、東京地裁に係属している。

(なお、この事件は、その後東京地裁にて高額な和解が成立しました。)

(完)

戻る

法律相談(交通事故・保険金不払い)のご案内はこちらへ・全国対応