ドッキリ!実話
替え玉 (5/6)
― 無茶苦茶 ―
座間味にかぎらず、世の中には非常識なことをいう人がいるものです。
「道路は子供の遊び場であるのが理想だ」と大まじめに法廷で述べた被害者がいました。道交法では道路で遊ぶのを禁じ、罰則まであるにもかかわらずです。
この被害者は9歳の娘を事故で亡くされた方です。狭い道をふさぐ形で母親が自分の娘と同級生の子供たちを連れて横並びに歩いていました。車が通行できないような形で歩いていたこと自体、往来妨害なのですが、被害者にはその認識がありません。うしろからバイクが来てクラクションを鳴らしました。警笛をきいて歩行者たちは左右両端にわかれ、バイクを通しました。バイクが母親の横を通過していったとき、少し先にいた娘が何を思ったのか突然バイクの前に駆け出し、はねられて死亡したのです。
このケースでは、被害者側にも20%の過失があると、後年、東京高裁の判決で認定され、最高裁で確定しています。この判決がでるずっと前、私も判決と同様の指摘をし、法律的にはどう考えるのが正しいか、丁寧にアドバイスしました。
すると
女の子の両親は、自分たちには一切過失はないといいはり、ついには子供の権利条約までもちだして、現在の道路行政は子供が道で遊ぶ権利を奪っているという奇怪な理屈を並べたてました。それどころか、過失があると指摘したことに立腹し、私に対して謝罪と慰謝料の支払いまで求めてきたのです。
おとぎの国の世界でならともかく、現実の社会では、道路が子供の遊び場であってよいわけがありません。おどろくことに、前述のような非常識な主張を唱える被害者を支援する被害者団体の人間(このケースでは、「全国交通事故遺族の会」の戸川孝仁という人物)さえいます。
被害者団体といいますと、それだけで世間からは同情を集めがちですが、被害にあったトラウマからかもともとの考え方の違いからか、常識をとんでもなく逸脱している方もまじっています。それも被害者団体の役員であったりします。常識を欠いていることを本人が気づいていないために、始末が悪いのです。自分の考えの誤りを指摘されますと、そういう方はかえって反発し、指摘した者を誹謗中傷するような攻撃に転じます。フロイトのいう、フラストレーションから攻撃行動への転化です。
私自身、そういう誹謗中傷の被害にあいました。さきほどの被害者夫妻に私が彼らの過失の存在と正しい考え方をアドバイスしたところ、謝罪と慰謝料を請求してきたことはすでに書きました。私がそれに応じない姿勢を示したら、被害者夫妻と支援者らは、今度は私を誹謗し中傷するビラを作って被害者団体の集会で配ったり、週刊誌にもちこんだりしたのです。支援者の代表(このケースでは、前述の戸川孝仁という人物)は、他人の名誉を損なうような不穏当な言動をした会員には退会してもらうなどといいながら、自分がそれをしても平然と役員に居座ったりしています。
被害者の方々がお互いに慰めあい支えあうのは、それはそれで有益であり結構なことだと思います。それをとやかくいうつもりは毛頭ありませんが、良識を欠いた人物にときおり出会うのもまた事実なのです。
トラウマの治療の本や、犯罪被害者相談室のマニュアルなどには、被害者の話をとりあえず無条件で聞いてあげるのがよいようなことが書かれています。心のうちの悲しみや苦しみを語られるぶんには、黙って聞いてあげるのがよいでしょうが、社会常識から逸脱した間違った考え方や行動をあらわにした場合には、そうはいかないと思います。それが誤りであることを伝え、正しい方向に軌道修正してあげるのが法律家の役割だと思うのです。そうでなければ、法律家の存在意義がありません。
残念ながら現代人のなかには、無茶苦茶な論理をふりかざす非常識な人がふえているように感じます。子供が間違ったことをしても大人が叱らないせいなのか、学校で道徳や倫理を教えていないからなのか、理由はよくわかりませんが、弁護活動の前線にいますとこういう人物によく遭遇します。
社会常識の欠如という点では、裁判官とて例外ではありません。良識にてらすと唖然とするような判決を書く裁判官が、少なからずいます。彼らが、弁護士をはじめ一般市民の裁判官不信を助長しています。
自転車に乗った小学生の女の子が、夜、住宅街で斜め横断をしたため、うしろから来た乗用車に追突されました。といっても車はゆっくり走っていたため、すぐブレーキを踏みました。それでもわずかに接触してしまったのです。女の子は転倒しましたが、幸いけがは軽く、1日通院しただけで完治しました。
ところがです。その父親は乗用車の運転手を殺人罪で告訴したいといってきました。業務上過失致傷罪の容疑で所轄の警察ではすでに立件されていましたが、それでは生ぬるいというのです。
父親はいいます。
「未必の故意による殺人じゃありませんか」
「殺人罪をこのケースに適用するには、無理があると思います。お嬢さんの自転車を前方に認めていながら、故意にスピードをあげたというような事情でも浮上すれば、考えられないこともありませんが」
「いやぁ、これでどうして殺人罪にならないんですか。娘は殺されそうになったんですよ」
「殺人未遂だというのですか」
「いえ、殺人既遂ですよ」
「殺人既遂? お嬢さんは幸いにもけがだけですんだんですよねぇ。それも通院一日だけで」
「そうです」
「殺人未遂ということであれば、まあ理論上は成り立たないわけではありませんが、お亡くなりになったわけではないのですから、殺人罪の既遂というのはへんです」
「どうしてそうなんですか。殺されそうになったというのは、殺されたも同然じゃないですか。私はどうしても先生に、こいつを殺人罪で告訴してもらいたいのです」
そういう彼の目を見ますと、目が真剣です。父親と同席していた被害者の女の子の目も、父親と同様に切切と訴えかけてきます。私は怖くなりました。気持ちがひいていきます。なんとかなだめて一刻も早くおひきとり願うしか方法はありません。
「なるほど、一歩間違えば生命にかかわるというところだったかもしれませんねぇ」
「そうですよ」
「お気持ちはよくわかります。十分にわかります。でも私の微力では、この男を殺人罪で告訴して受理させることはまずできません。すでに加害者は業務上過失致傷罪で被疑者として扱われているようですから、このうえさらに殺人罪というのは、相当優秀な弁護士でないとまずむずかしいでしょう。申しわけありませんが、私にはその力はありません」
「先生でだめだといわれるのなら、いったい誰をたずねればいいんですか。紹介してくれませんか」
私は一瞬唇を噛みました。このような方を友人に紹介したら、恨まれること必定です。
「いや残念ながらお宅さまのような難題に強い弁護士を、私は寡聞にして知りません。どうしてもとおっしゃるなら、あとは弁護士会にお問い合わせいただくのが一番よろしいかと存じますが」
妙なことをいってからまれてはたいへんという思いからか、こちらの言葉は次第に丁重さをましてゆきます。
私が弁護士会の法律相談用のパンフレットを渡しますと、父と子はようやく席を立ってくれました。