ドッキリ!実話

男のメンツ (3/4)

「この際先生、費用は惜しみませんから、裁判で相手の鼻っ柱をへし折って下さいよ」

 ぼくの事務所を訪れた東さんは、あばたの目立つ顔を紅潮させて、開口一番そう言った。

「私が嘘を言っているようにとられたんじゃ、男の沽券にかかわります。こうなったらもう金の問題じゃあないと思うんですよね」

 同行した西さんも、彼の脇で憤懣やるかたないといった面持ちでつけ加えた。

 このケースで訴訟を起すとなると、弁護士費用の方が高くつく。訴訟を起した場合、相手は事故態様を争ってくるだろうから、そう簡単には和解は成立しないだろう。そうなると審理も長びくにちがいない。弁護士費用は最低でも十万円、いや二十万円は超える可能性が高い。東さんはそれは覚悟のうえだと言ったが、経済効率を無視したこういう訴訟は、あまり勧められない。しかも訴訟を起してみたところで、確たる証拠がなければ水掛け論に終わり、結局、裁判官からも五分五分の和解案が出される公算がある。最悪の場合は、全面敗訴の可能性だってないわけじゃない。後退にしろ追突にしろ、二つの車がぶつかったことを立証する責任は西さんの側にあるからだ。その立証ができないと、悔しいが西さんの側が全面的に負けることになる。そんなことをひとつひとつ噛んで含めるように説明すると、東さんも西さんも先程の勢いをなくしていった。

「訴訟にした場合、相手は衝突の事実までも否定するんでしょうか」

「さあ、それはわかりませんが、このタクシー会社なら、否定しかねませんね。ワルでは有名ですから。つまり、西さんの車の傷は前々からついていたのに、今回、接触事故があったとこじつけて、責任を転嫁してきたんだと」

「冗談じゃありませんよ、そんなの」

 西さんが目をむいて、少し怒ったように言った。西さんにとっては、そんな言い分は考えだにしなかったからだろう。

「いや、先生は、むこうの出方を予想して言ってくれてるんだから、君が先生に怒ったってしようがないじゃないか」

「すいません。わかってはいるんですがつい・・・・・」

 東さんに諭されて、西さんは軽く会釈し、ぼくに詫びた。

 白を黒と言いくるめられることは、紛争の現場において、いたく日本人の神経を逆なでするものだ。訴訟社会を生き抜いているアメリカ人と違い、日本人には予想外の屁理屈に対する耐性ができていない。アメリカでは、駐車場やガソリンスタンドなどで、たったいま、相手の車にぶつけておきながら、自分の車から降りてきて相手の車の凹損箇所を検証するや、「この傷は、古い傷よ。もともとあったものじゃないの」などと勝手なことをいって、平然と遁走する主婦がいる。それに比べたら耐性ができていない分、日本人はまだましなのだ、と思った。彼のふくれっ面を見て、ぶつけた方がすなおに謝るのが当然だとする日本人の間の「常識」を、ぼくはまたしても再確認したのだった。
 応接の椅子の背もたれに体をあずけ、腕組みをしながら、東さんは呟いた。

「相手が、後退してきたことを証明するには、どうしたらいいんでしょう」

「第三者の目撃者でもいるといいんですがね」

「あのとき、車は一列に渋滞していましたし、歩行者のいるような場所ではありませんから、残念ながら目撃者の期待はできませんね」

「たしか、双方の車とも、同乗者はいなかったのですよねぇ」

「ええ、いないんです」

「そうなると、証人というのはむずかしいなぁ。あと考えられるのは、工学鑑定ということですが、しかし・・・・・」

「工学鑑定といいますと?」

「つまり、双方の車の損傷状態から、どちらがどちらにぶつかったのか、自動車工学の専門家に解析してもらい、鑑定書を作ってもらって、証拠として出すわけです」

「ほお」

「しかし、こうした工学鑑定というのは、それぞれが主張する事故態様によって、車の損傷状態ががらりと変わる場合には、意味があるんですよ。鑑定の結果、相手のいうような事故態様では、車にこのような傷はつかないということを証明できますから。それにひきかえ、今回のケースでは、後退か追突かが争われているわけで、どっちに転んでも、西さんの車のバンパーがいかれる、という結論になりそうなんです。それに加えて、鑑定費用というのもかさみますしね」

「いくらぐらいかかるんでしょう」

「たぶん、最低でも三、四十万はみておく必要があるでしょうね」

「そんなにですか」

 東さんも西さんも、視線をテーブル上に落として、苦悩のいろをにじませた。

「それならこの際、五分五分で示談にするとしても、相手の圧力に屈して示談にするというんじゃなくて、こっちのメンツがたつような形で示談にする方法はないもんでしょうかね。相手は汚いと思うんですよ」

 東さんは思いつめた様子で訊いてきた。

「うーん、その方法は・・・・・」

 今度は、ぼくが天空を見上げる番だった。
しばらく沈思黙考したあと、

「ないわけじゃ、ない」

 そうつぶやくと、ぼくは一片の紙に示談条項の草案を書きつけた

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