ドッキリ!実話

海からの風 (2/2)

― 現場検証は慰安旅行 !? ―

 現場は、海岸線から田園地帯を抜け、峠をいくつも越えて、駅からは約50キロも奥に入った山の中だ。地図のうえでは太い線が2本走っていたので、かなり広い道路だろうと思っていた。ところが実際は、3メートル足らずの道幅で、マイクロバスが1台通るのがやっとの、曲がりくねった石ころだらけの山道だった。下は数層の崖になっている。ひとつ運転を間違えば、すぐ谷底に転落する危険があった。われわれは、途中2、3回対向車にでくわし、かろうじて擦れちがうことのできる広い場所まで、バックしなければならなかった。チャーターしたマイクロバスは激しく揺れ、ぼくはバスの天井に頭を幾度もぶつけた。大きな衝撃をうけるたびに、書記官や検察官からどよめきが起きた。このガタガタ道が延々1時間も続いたあと、急に平坦な砂利道に出た。この砂利道を1キロほど行ったところにゆるやかなカーブがあり、砂利道の横が落差3メートルぐらいの土手になっていて、その下に田圃がひろがっている。そこが現場だった。
 酒田は、土手の上に立って、裁判官に申しわけなさそうにこう説明した。彼は勾留中の身ではなかったから、もとより手錠などはめられてはいなかったが、神妙なその姿は、手錠をはめられていることを錯覚させるほどだった。

 「さっきの、ガタガタ道の間は老人たちが悲鳴をあげるんで、けがでもしなければいいがと、心配しながら運転してました。ところが、この砂利道へ来たとき、その……一瞬緊張がゆるんで、ほっとしたんでしょうね。砂利道では、運転も楽なんで、つい、その、なんていうか、うとうとと……。気がつくと、車は道路の端っこに片方の前輪が浮いておって、あわててバックしようとしたんだが、スリップして、こっちの田圃にゆっくりゆっくり、こう横倒しになったんです」

 若手の書記官が、職務柄もっともらしく、酒田の指し示す位置をカメラにおさめている。
 なるほど、これでは単なる居眠り運転とはだいぶ違う。来てみてよかったと、しみじみ感じた。

「あのひどい道を通ってこの砂利道に出たら、こりゃあ誰だってほっとするわ」

 周囲の田圃を見渡しながら、担当判事も彼に同情するように言った。
 転落した現場をじっとみつめていた検事は、さすがに何も言わなかったが、この道では仕方ないなという思いが、顔に出ていた。
 ぼくはそのとき、これで酒田は執行猶予になることを確信した。もし執行猶予がつかなかったら、身勝手な裁判所の思惑のために、わざわざ北海道まで来させた酒田に気の毒ではないか、とも思った。
 そのとき、酒田が、土手のふちから片脚を浮かせ、体を少しずつ田圃の方に倒しながら、こんな風に横転したんだとジェスチャーで示したので、判事も検事もぼくも、また若手の書記官も、そばで彼の動きに注目した。彼があまり体を田圃の方に投げだすので、そのまま田圃に落ちてしまうのではないかと、みんな心配したほどだった。
 さっきまで、裁判官のそばで、酒田の言葉をメモしていた古手の書記官は、いつの間にかいなくなっていると思ったら、少しはなれた土手のうえで、素っ頓狂な声をあげた。

 「あっ、土筆だ。こんなところにまだ土筆がある」

みんなの視線がいっせいに彼の方に向けられた。

 現場からの帰路、酒田だけが函館本線の最寄りの駅でバスを降りた。

 「先生、ありがとぅごぜぇました。旅費を使って、こんな山ん中まできてもらったってぇのに、先生にはなんもお礼できなくて、すんません」

 「いや、そんなこと、気にしなくていいんですよ。それより、奥さん、早く居場所がわかるといいね」

 「東京に戻ったら、見つかるまで女房を探します」

 彼はそういって、照れくさそうに顔をくしゃくしゃにした。
 現場検証のあと、われわれは、定山渓まで足をのばそうというのに、彼は上野までの長い道のりを、また寝台も使わず硬い椅子に座って帰るのだろう。屈託なく改札口に急ぐそのうしろ姿が、ぼくには妙にいたわしく思えた。

 その夜、定山渓のひなびた旅館の広間で、裁判官と書記官2人、検察官、それにぼくの5人で酒盛りをした。ぼくが古手の書記官に呼ばれて行ってみると、近海でとれたという魚のさしみの盛合せが2つ、テーブルに並んでいた。ルイベや蒸し蟹や天ぷらやうに丼といった、こんな田舎の温泉宿にしてはずいぶん贅沢と思われる料理が、次から次に運ばれてくる。そのときの献立は、すべて古手の書記官が1人で勝手に決めたものだった。
 翌朝、彼は、朝食のあと、ぼくに1枚の紙切れをさしだした。それには、昨夜の夕食代がしめて約6万円弱、そのうちの半額3万円がぼくの分担金だとメモしてある。自分の分担金の多さにびっくりして、

 「どうして私の分だけこんなに多いんですか」

と訊くと、彼は悪びれもせず答えた。

 「いやあ、先生には多少のご寄付をあおぎたいと思いましてね。なにせ、われわれ宮仕えの者は、薄給だもんですから」

ぼくの、少しムッとした表情を見てとってか、彼はつづけて言った。

 「先生、ご心配なさらなくても、先生のご寄付の分は、国選弁護料の方にちゃあんと上乗せしておきますから、大丈夫ですよ」

 国選弁護料は最終的には裁判官が決裁するものだが、事実上は書記官が計算している。だから書記官にとって、お手盛りも可能だった。こんなやり方は、ぼくとしては気に入らなかったが、いま、書記官と喧嘩したくはなかった。審理に影響することを懸念したからだ。このあとまだ、被害者たちを診察した札幌の医師への出張尋問がひかえている。
 仕方なく、ぼくは言われるままに支払って、次の目的地である札幌への旅支度をはじめた。

(完)

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