ドッキリ!実話
替え玉 (6/6)
― 弁護士解任 ―
座間味の豹変とN損保の支払拒絶、横浜地検の捜査状況などを私は沼さんに説明しました。沼さんはあきれつつも、訴訟しか方法がないことをわかってくれました。
「あとは先生にお任せしたい」といいます。
翌日、訴状の作成にとりかかっていたところ、沼さんの奥さんから電話が入りました。奥さんが電話をしてくるのははじめてのことです。いやな予感が走りました。
いったいどうしてこんなことになったのか、とお尋ねですので、「加害者の座間味がこれまでの供述を一変させたんです」といいました。
「座間味という男はよほど悪辣な人間なのでしょう。いまごろになって替え玉だったなんていいだしたのですから」
「加害者がそういうとんでもないことをいいだしたとしても、そこをなんとかするのが弁護士さんの役目じゃないですか」
「ええ、ですからこのうえは裁判を起こして黒白をはっきりさせるのがよいとご主人には申し上げたのです。情況証拠がそろっていますから、たぶん勝てると思います。判決で座間味が加害者に間違いないということになれば、N損保も払うでしょうから」
「いえ、そうじゃなくて裁判なんてめんどくさいでしょ。先生が座間味を説得して自分がやったと認めさせればそれですむっていいたいんですよ。それが弁護士さんの仕事ではないですか」
「は? 私は沼さんの代理人であって座間味の代理人ではないんですよ。座間味は敵対する相手方なんです。検事の前ですら、シラをきろうとしている男をどうやって説得しろとおっしゃるんでしょうか」
「そんなことは知りません。それは先生が考えることであって、私たちが考えることじゃありませんから」
「弁護士は検事や裁判官のように権力を持ってはいないのですから、裁判を起こして座間味が加害者だと認定してもらう以外、手はないのです。あまりにもひどい相手にぶつけられた。相手が悪すぎたとご理解いただきたいんですが」
「その悪すぎた相手をどうにかするのが弁護士さんの役目だといってるんです。裁判なんかにしないで」
「奥さん、弁護士にもできることとできないことがあります。N損保は一切払わないといってるわけですし、前言をひるがえすような奴を相手にするには、もう残された道は訴訟しかないんです」
「あっ、そう。じゃちょっと考えさせて下さい」
そのまま電話を切られました。
奥さんのいうのは無茶苦茶です。夫の弁護士を仲介役と誤解しているふしがあります。座間味を拷問にでもかければ別でしょうが、私にはそんなことできるわけがありません。
30分ほどして沼さん自身から電話が入ります。
「実は、女房が知りあいの別の弁護士に頼みたいといっていましてねぇ。私は先生にお願いする方がいいっていったんですが、女房がきかないんです。……すいませんが、代理人を降りていただけませんか」
ああなるほど、そうくるのか、と思いました。彼はどちらかといえば気の弱そうな人のいいタクシードライバーです。それにひきかえ奥さんの方は、負けるもんかという姿勢を露骨にだしてこっちを責めたててきます。家庭内での食卓をはさんだ彼と奥さんの力関係まで見えるようでした。
夫が敷いたレールを妻がぶちこわす。夫が妻をおさえればいいものを、それができない。男が情けなくなったのか女が強くなりすぎたのか。
こんな理不尽なことをいう奥さんが沼さんの背後にいるかと思うと、こちらとしてもやる気を失います。訴訟を起こしたとしても、その過程で奥さんにいろいろ誤った横槍を入れられてはたまらないからです。「降りてくれ」といわれるまでもなく、降りたい気分になります。
参考までに奥さんが頼みたいといっている弁護士のことをたずねてみました。沼さんの話では、奥さんが勤める魚介類加工会社の顧問弁護士だそうです。あとで調べてみますと、その人の専門は不動産と書いてありました。交通事故の分野では、まったく名前を聞いたことがない方です。おそらく交通事故はあまり扱ったことがないでしょう。
数日後、沼さんから私あてに解任状が届きました。
彼がこのあとどうなったか、座間味が有罪になったかどうか、私は確認していません。
でも私は確信しています。座間味のいうようなみえすいた嘘が通用するほど、日本の刑事司法は甘くはないと。
(完)