ドッキリ!実話
降りてくるもの
― よみがえる事件の記憶 ―
25年も弁護士をしていると、キャビネットの底に沈んだ済事件記録に、昔の依頼人の名前を見いだしても、すぐには思い出せないことが多い。
だが一方で、20年近くも前の事件でありながら、ときおり不意に意識の表層に舞い降りてくるものがある。時の流砂にかき消されず、来し方に結晶となって残ったものだ。
あの事件もそうだった。
シンナー中毒で気がおかしくなり、刃物をふるい、糞尿をたれ流し、手のつけられなくなった男(31)がいる。その母親(69)が、思いあまって息子を刺し殺した。
私は国選弁護人として、彼女を弁護した。
彼女は当初、息子と一緒に東京下町の一軒家に住んでいた。が、息子の中毒症状がはげしいときは、見境なく包丁で切りつけるため、危なくてとても一緒には住めず、彼女のほうが息子を残して家を出た。
精神病院に入れたり、自衛隊に入隊させたりしたが、改善しなかった。
小料理屋に勤める彼女は、週に1度、自分のアパートから息子のところに立ち寄り、洗濯物をひきとり、1週間分の食事をおいて出てきた。
そんな生活を1年余り続けたが、息子はますます凶暴になり、近所の方がパトカーを呼ぶ事態が何回か続いた。
いよいよ抜きさしならないところにきたと悟った彼女は、病身をおして、ある日、垢じみたパジャマのまま飯をほおばっていた息子の背中に、出刃包丁を突き通したのである。
私の知人の、ある大病院の院長(40)は、かつて手術をうけ、退院していった患者を、たまに自宅に訪ねるのだという。近くまで来たふりをして、何気なく、
「どう、元気?」
ってきくのだそうだ。
そうやって訪ねる患者は、退院はさせたものの、容体が急変する可能性があり、彼からみると、意識の中に降りてくる気がかりな患者なのである。
医師としての良心にそこはかとなく訴えてくる彼らの病巣が、患者たちは忘れていても、先生を突き動かす。
患者への思いやりにあふれたこの先生だからこそできる行動である。
息子を殺害した事件の公判において、私は懸命に彼女を弁護した。
悪いのはひとえに息子のほうであって、放置したならきっと近隣に被害者が出ただろう。息子から虐待された彼女こそ、万人の同情にあたいすると。
彼女は初犯で江戸っ子気質の女性であった。
高齢でもあり、私は執行猶予になることを確信していたが、非情にも東京地裁が下した判決は懲役3年の実刑であった。
私は東京拘置所で彼女に控訴を強く勧めた。
だが彼女は
「息子を生んだのも私なら、殺したのも私。だからいいのよ」
といって、毅然として刑に服した。
それから2年8ヶ月余りがたったとき、私の不在中に菓子折をもって事務所を訪ねてきた女性がいる。
彼女だった。
刑期を数ヶ月残して仮釈放されたのだった。
私選、国選を問わず、数多くの刑事事件のなかで、服役後挨拶に来たのは彼女だけであった。
そんな彼女が今どうしているだろうかと、昔の恋人を気遣うように、ときおり私の意識に舞い降りてくる。
(完)