ドッキリ!実話
示談後の悔し涙 (7/7)
― 再訪 ―
彼はそのあと、日を替えてもう一度私の事務所に訪ねてきました。
私の事務所に来るまでの間に、霞が関の日弁連交通事故相談センターにも出向き、そこの弁護士にも聞いてみたといいます。
センターの弁護士も私と同様の額を積算して、ビジネスライクに冷たくいい放ったそうです。
「お気の毒ですがいまさらどうにもなりませんね。示談を白紙にもどすのは無理です」
センターの弁護士との一問一答を克明に語ったあとで、彼は哀願するような眼差しを私に向けました。
「先生、どうしても、どうしてもだめでしょうか。なんとかならないものでしょうか」
彼の口調が切実であるだけに、私にも彼の気持ちがわかります。はめられた悔しさがこちらにも伝わってきます。
できるかぎり柔らかく私は彼に伝えます。
「なんとかなるものなら、なんとかしてさしあげたいのですが、示談を白紙にもどすことは不可能です。裁判を起こしても勝ち味はありません」
「そうですか……」
彼は小さな声で呟くと、溜息をひとつつきました。
肩を落として帰っていく彼をエレベーターホールまで見送ります。背中全体に寂寥感がただよっています。
私は考えてしまいました。本来とれたであろう賠償金の額を私が彼に告げたのは、彼にとって幸福といえるのだろうか。500万円の示談額が正しい額で、彼は息子のために最善のことをしたのだと思いこませておいた方が、よかったのではないかと。
私のアドバイスによって彼は後悔を招き、失意の底につき落とされたように思えたのです。私の事務所を訪れるまで、彼は示談金額にさほどの疑いはもたなかったはずです。むしろ彼の希望どおりT損保が増額してくれたことに達成感すらいだき、円満な解決に満足していたのでしょう。一抹の不安さえ脳裡をかすめなければ、そのままでよかったのです。真実を知らないでいることのしあわせと、真実を知らされたことによるふしあわせ。
弁護士は法律相談にみえたお客様には、法律上の正しいこたえを提供するのが仕事です。それがサービス業としての弁護士の務めですが、人間の幸福ということを考えたとき、知らせないでおくことのしあわせも、選択肢に加えるべきかと悩んだのです。
でも、と私はふたたび考えました。私が本当のことをいわないで彼に安堵を与えたとしても、彼が後日、ひょんなことから私の回答に疑念をいだき、交通事故に強い別の弁護士の門をたたいたらどうなるか。彼の落胆は倍加し、私への不信感が生れ、さらには弁護士全体に対する猜疑心まで宿ったにちがいありません。
それを思うと、やはり致し方なかったというべきか……。
癌患者を前に、癌を告知しえない医師の苦悩がわかるような気がしました。
(完)