ドッキリ!実話

タイムレースの少年 (2/2)

― 暴走の果てに ―

 裁判は長びいた。被害者といっしょにタイムレースをしていた同級生の少年まで、法廷にかりだされた。
 証言台で、その少年は供述した。

 「タイムレースに誘ったのはぁ、いつもぉ、アキオの方です。えっとぉ、あんときもそうでぇ、アキオはぁ、ウォークマンを聴きながらぁ、乗ったんです、マシーンに。ロック聴きながらぶっとばすとぉ、サイコーだって言って」

 すると、突然、傍聴席から男の声が叫んだ。

 「なにを言うか、嘘をつくな」

 被害者の父親だった。
考えてみると、ウォークマンとオートバイとは、若者にとって、きわめて似た機能をそなえている。ウォークマンは音楽によって、オートバイは爆音とスピードによって、それぞれ陶酔の境地に誘うのだ。
少年の尋問がおわって、ぼくが被告代理人席で書類をとりまとめていると、傍聴席から父親が寄ってきて、消印のある現金書留封筒をぽーんと投げて寄こした。

 「お宅の会社が四十九日に香典としてよこしたものだが、こんな会社の金は受けとれない。あんたから返してやってくれ」

 父親はぼくをにらみつけて、言った。

 「香典は、損害賠償金とは別のものですから、お受けとりになっておいた方がいいんじゃないですか」

 「いや、こんな汚い会社の金は受けとれないよ」

 「そう、それなら、私を介してではなく、あなたから直接、加害会社の方へ返送して下さい。それの方があなたの気持ちもすっきりするでしょう」

 「そうすると、送料がかかるじゃないか」

 「送料は、その中身からさしひいてお返しになればいいでしょう」

 父親はそれでようやくひきさがった。
こんな汚い会社の金は受けとれないと言っておきながら、父親は加害会社へ損害賠償金の支払いを求めているのである。彼にしてみると、香典は儀礼的、人情的なものだから受けとりたくないが、損害賠償金は法律上のものだから請求するというように、区別して考えているのかもしれない。しかし、金の出所は同じであって、香典の支払いに関して「汚い会社」が、損害賠償金の支払いについて「きれいな会社」に切り替るものではない。法律家の目からみたら、彼のような言動は自己矛盾であるし、ナンセンスである。日本人によくあるように、彼も感情に流されているからだろうが、汚い会社の金は受けとれないと言うのなら、訴えを取り下げろ、と言ってやりたい心境だった。

 審理と和解に11回の期日を数えた。事故から1年8ヶ月、提訴から1年2ヶ月が経過していた。歳月は、ひとの気持ちを変える。あれほど、息子の非をかたくなに認めようとしなかった両親も、裁判官と先方の弁護士に諭されて、ようやく20パーセントの過失を認めた。

12回目の期日に和解を成立させるべく、下田さんと渡辺さんに小切手をもって裁判所まで来てもらった。遣族側が裁判所での和解金の授受を希望したからだ。
コの字形に並べられた和解室のテーブルの、一方の側に原告代理人の2人の弁護士と両親が、その反対側にぼくと下田さん、渡辺さんが腰をかけた。裁判官が中央の席につき、ぼくと相手方弁護士との間で事前に合意にこぎつけておいた和解条項の草案を、裁判官が1条ずつ確認の意味で読み始めた。その矢先、向かいに座っていた母親の顔がみるみるくずれたかと思うと、馬のいななきを思わせるような声をはりあげた。号泣したのだった。下田さんや渡辺さんの顔を見て、再び感情がたかぶったのにちがいなかった。ぼくはすぐ2人に、小切手だけおいて席をはずすよう指示した。
任官してまだ7年ぐらいの若い裁判官は、庁舎内に響きわたりそうな母親の泣き声におそれをなしたのだろう。和解条項の読み合せは省略しようと言い出した。小切手の金額を確認してもらうために、ぼくが小切手の金額欄を指で示して裁判官にさしだしても、彼はそれを見ようともしなかった。

 「裁判所は、金の授受には関知しませんよ。当事者間で勝手にやって下さい」

言い放つような裁判官のその口調は、自分の担当事件でありながら、面倒なことには巻き込まれたくないという意識がありありとのぞいていた。
裁判官は、判決よりも和解で事件を落としたがる。和解に比べ、判決を書くのは10倍の手間がかかるからだ。加えて、裁判官の能力は、主に手持ち事件の処理件数によってはかられる。ある事件を、和解で落とそうと判決で落とそうと、一件に変わりはない。200件以上の事件をかかえていれば、処理件数をふやすために、どうしても和解に頼りたくなるのもわかる。しかしそれなら、自分の行った和解による処理を最後まできちんと見届けるべきなのである。
この事件の裁判官は、その点がなっていなかった。裁判官自らがあれほど強く和解を勧め、あれほど強引に金額も押しつけたくせに、ちょっと厄介な場面にでくわすと、すぐ逃げに回る。権威主義的である一方、その精神は極端にひ弱なのだ。しかも、この裁判官は、任官するまえ一年間弁護士の経験を持ち、弁護士の気持ちもわかっているはずなのである。ぼくはとっさにこの男の姿勢に無性に腹がたった。
その場のおだやかでない雰囲気を察してか、先方の代理人のうち年輩の弁護士は、ぼくの渡した小切手の金額欄を一瞥すると、黙って領収証をさしだした。
一同は、すぐ席をたった。母親だけがいつまでも椅子に座って、火のついた子供のように泣きつづけていた。

 和解が成立してほぼ3年たった12月末のある日、ぼくの事務所に中年の女性からの電話が入った。電話の声は、一方的に言い放って切れてしまった。

 「あなたを殺してやりたいと思っている人間が、今なおいることを忘れるんじゃないよ」

この事件の母親からだった。

(完)

<<前へ

戻る

PAGETOP